ズタボロ日記迷走中

40代女性の迷走奮闘日記 人生は続くよ残酷なまでに

美魔女に対するモヤモヤっとする感情の謎

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今日のスッキリで、美魔女がどうのこうのっていうコーナーがあって、美魔女と呼ばれる女性たちを見るたびに、毎度沸き起こるこのモヤっとした感情はなんなのか。

一度ちゃんと整理しておくってのも、今後の自分のためによさそうだと思って、まとめてみる。

 

美魔女ってそもそも何?

定義ってほどでもないけど、なんとなく

 

「年齢以上の美しさと若さを保った女性」

 

ってことになるんだろうか。

 

でもこの美しさや若さってのは、ナチュラルに存在するものではなくて、本人が必死の努力とお金と時間をつぎこんで得たものってのがあるから、どうしても別の意味も込めざるを得なくなる。

 

だからこの美魔女には、羨望のまなざし以外に他の目線も入ってて、

 

「加齢に無理にあらがって、美や若さにしがみついてる女性」

 

という側面も無きにしも非ず。

 

一部の女性たちからは羨望のまなざしで見られ、大多数からは哀れに見えてるってのが現実じゃないかと思う。

みんな認識として、後者の感じが本当は強いんじゃないかな。いわないだけで。

 

だって、美魔女特集とかやってるときの、テレビの男性コメンテーター陣の「能面」みたいな顔見てたら察して余りあるものがある。

 

女性の美と若さは誰の物?

こんなとき行きつく先は、結局「誰のためにそんなに美しくあろうとしているの?」ってこと。

 

男性のためなのか?

しかし、世の殿方ってのは往々にして、若さ第一。作った美人ではなくナチュラル美人を好む。

 

必死のパッチでこねくりまわして、努力に努力を重ねて、あらがったところで、10代20代のピッチピッチの若さ溢れる純粋性とみずみずしさには、何しても勝てないのだ。

 

大人の女性の色気とか熟れた感じとか必死で言葉探して、なんとかしようとしてるけど、そんなのが好きなのは本当にごく限られた特殊志向の男性しかいないんじゃなかろうか。

 

だから男性の目を気にして、若い女性と張り合おうとするその不毛さにイライラするのかもしれない。

 

ただ、美魔女の中には男性のためでもあるし、自分のためでもあるって人もいるだろう。

 

自分が醜くなっていくのが許せない。衰えていくのが恐ろしい。

若いころから美人だった人が加齢にともなって急激のその容色が損なわれていくのは確かに気の毒な感じは否めない。

 

「昔は美人だったのにね~・・・」という眼差しが常に向けられるわけだ。

会う人会う人に勝手に失望されてく感じ。辛いだろうな。

 

その悔しさとどうにもならない感じは、なんとなくわかる。

でも、それって当然のことで乗り越えていかなきゃいけないんじゃないかな~と思うのです。

 

年をとったなりのそれなりでいいんじゃないかと。

 

それを全拒否して、全世界に対して、全力でマウントしていく感じがどうにも恐ろしい。

 

女性が幸せであるためには、どうしたって「美」と「若さ」が必要で、それがなくなったら価値がなくなるとしたら、女性は20代過ぎたら全員死ぬしかないのかもしれませんね。

 

なんとアホらしい。

 

美魔女になぜモヤっとするのか?

ここからは、自分のひがみ根性全開になってしまうのですが、たぶんこのモヤモヤする感情の正体は、「嫉みひがみそねみ」と「呆れ」と「羨望」です。

 

美魔女って呼ばれる人たちって、たぶん昔から基本美人なんですよ。

女性としては、かなりな人生イージーモードで、ガチャの勝利者とも入れる存在。

さいころからずーーーーっとちやほやされてきているわけです。

 

でも、時間の経過ってのは誰にでも平等に訪れるもので、それにともなって、「美」と「若さ」というスタートダッシュ成功要素は必然的に失われるものであるべきなわけです。

 

そして、おばさんになってみんなおんなじ感じに落ち着く。

そういう平等性みたいなものをどうしても求めてしまうんではないでしょうか。

 

それをまだアンタがたは、40代50代になってもその既得権益にしがみつこうってのかい!っていうところにイラっとしてるのかもしれません。

 

裏を返せば、うらやましいのです。自分だってそんな美人な人生送ってみたかった。

ずっと美人で、あの人は年の割に本当に綺麗!って言われてみたい人生だった。

 

でもそうはいかないから、美魔女の必死な感じに対して、ちょっと呆れてみせることで自分の優位性を保とうとする。

 

我ながら本当に矮小な人間だと思います。自分の器の小ささも何もかもわかってるからこそ、美魔女に対するモヤモヤ感は複雑でちょっと手に負えない感じなのです。

 

加齢にともなうあらゆる劣化に真っ向勝負であらがってるその必死感が、なんか辟易とする感じも正直あります。

なんでそこまでするのと。

ありのままでいいじゃないかと。

 

それと同時に、いつまでも女性として美を追求していくその姿勢に感服したりもする。

美に対して、全ての努力を放棄している自分に対して、焦りの感情が噴出してくる。

このままでいいのか?

このままじゃだめなのか?と。

 

必死で努力してる人みると焦るあの感じと一緒です。自分は何もしなくていいのかと。

 

嫌気がさしながらも同時に感心してたり、焦っている自分がいて、感情がいったりきたりで、せわしなくて、本当に板挟みな感じなのです。

 

これがきっとモヤモヤの正体。

 

「美」と「若さ」とどう向き合うのが正解なのか

こんなに美魔女と呼ばれる人々へ挑戦的なことを書いてしまいましたが、責めてるつもりはなく、沸き起こる感情についてただ分析しただけです。

 

私の結論は、「みんな好きなようにやれ」です。

 

「幸せ」の形が、人それぞれであるように、「美」と「若さ」に対する関心も執着も人によって度合いが違うわけで。

 

私は、正直今ほぼ全てかなぐり捨ててしまってますが・・・。

まあそれをひどく親は責めるわけですが、正直ほおっておいてくれよと思うところもあいます。

 

きっと、美魔女のみなさんもそうでしょう。「勝手でしょ私の」って思ってらっしゃることでしょう。それでいいのです。

 

みんな自分の思う通りの道を結局邁進していくしかない。

 

私もこれからも美魔女の皆さんを見るたびにモヤモヤした感情を引きずることになるとは思います。まだ「美」と「若さ」に対する自分の結論を出せずにいるからです。

 

美魔女を見るたびに、それについて考えさせられるのでしょう。

美魔女は、女性の一つの形としてこれからも複雑な感情で見守っていきたいと思います。