本当の優しさは面倒くささの向こう側にある
母が五十肩のような状態になり、腕を上下に上げ下げすることが非常に困難になってしまった。
一時期は、動くこともできずにいたため、私が家事全般をやっていた。
少し回復して今は、またいつも通り家事をやってくれているのだが、相変わらず腕が痛くてしょうがないようで、昔のようにバリバリはできない。
そんな状況を察してか、父が突然一人で出かけて何かを買ってきた。
風呂掃除の道具と洗剤だった。
軽い力でこすれば落ちる強力なスポンジとこすらずにシュッとかけるだけで汚れが落ちていく洗剤ということだった。
「お母さんにプレゼント」
といって、テーブルに置いて行った。
いつも母に対しては無頓着な人なので、めずらしく優しいじゃないかと私はちょっと感心していたのだが、母はそれを見てなんとしかめっ面をしたじゃないか!
なんで母が怒っているのか。
みなさんはわかっただろうか。
母が一言。
「本当の優しさは、自分が風呂掃除をしてくれること」
なるほど・・・・。そういうことか。
思いもよらなかった。
父は、良かれと思って、少しは楽になるだろうと思って母のために買ってきたものだったが、母にとっては父の冷たさが浮き彫りになる出来事だったのだ。
なんとまあ・・・夫婦のすれ違い。
うまくいかなくなる夫婦がこの世にこれほどまでに生まれるわけだ。
父はきっとなんの悪気もない。ひたすらよかれと思ってのことだと思う。
でも、母の言い分はもっとよくわかる。
本当の優しさは、腕が痛いとわかっているならば、腕が痛いことをそもそもさせない。
自分が代わりに風呂掃除をやってあげることだ。
それをお金でちゃちゃっと済ませて、痛い腕使って、ゴシゴシ洗えよのメッセージになってしまったのである。
自分がやるのが面倒くさかったのか。
もしくはあの父のことだから、自分が代わりに洗うなんて発想がそもそもなかったに違いない。
本当の優しさは、面倒くささを乗り越えた先にある。
自分の労力と時間を使った先にある。
本当の優しさは、お金では買えない。
優しさをはき違えるととんでもないことになる。
母はずっと怒っていた。
父は、何も知らない。これからもずっと知らない。