表彰台が全部埋まっていても自分のレースを走り切る
最近、読んだ書籍の中でものすごく心に響いた言葉。
「表彰台が全部埋まっていても自分のレースを走り切ろうと思います。」
なんというか涙が出そうになった。
双極性障害という障害を抱えて、人よりひどく出遅れている感じがずっと否めなかった。
人がふつうにできることができない。
人が10年前にできていることが、やっと今できるようになったり。
何をやっても常に有能な健常人がいて、その人を超えることはできない。
一時的にものすごい能力を発揮できても、あくまでそれは一時的なもの。
自分の通常の能力ではないのだ。
いつの人生も表彰台は、うまっていた。
仮に自分が表彰台に立ったとしてもすぐ転落する。
上昇していくスピードと同じスピードで急角度に落ちていく。
そんな人生の繰り返しの中で、自分のレースの価値なんか見出すなんかできず。
でもある書籍を読んで、ハッとさせられた。
自分のレースを走り切るしか道はない。
1,2,3位を取れなくても仕方ない。
自分のレースを走り切ればそれでいい。
誰と比べるのでなく、淡々と自分のレースを走る。
私たちのような者は、そうやっていくしかない。
トップとかを目指す生き方ではなく、底辺だろうとひたすら這いながらでも進むしかない。
意識が低かろうと、次元が低かろうと関係ないのだ。
ただただ、生きていくしかない。
自分のレースを走りながら。
表彰台がうまってしまっているレースに意味なんてないと思う人もいるかもしれないけど。
なんのために走っているのかわからなくなりそうだけど。
そういうことに意味を見出すこと自体が、我々にとってはナンセンスなんだろう。
はなから勝負を捨ててしまっていいといってるわけではないけれど、表彰台にあがれない人生だからといって、意味がない価値のない人生というわけではないということがいいたいのだ。
自分に課せられたこの一段と厳しいレースをただただ走り抜けるだけでもすばらしい。
この障害という試練を生きるだけでも、それだけでも十分じゃないか。
そんな風に思うことができた素晴らしい言葉だった。
「表彰台が全部埋まっていても、自分のレースを走り切ろう」